高峰譲吉邸と京都高等工芸学校
(文化遺産教育研究センター企画) |

(画像をクリックすると拡大図(PDF:1,951KB)が見られます) |
高峰譲吉(1854-1922)は、消化酵素タカジアスターゼの製造など、化学者として世界的な偉業を成し遂げたことで知られていますが、一方でニューヨークに日本クラブやジャパン・ソサエティを創設し、ワシントンDCのポトマック河畔に桜を寄贈するために奔走するなど、日米間の相互理解を促進するべく国際交流に尽力しました。そうした国際親善を推進する場のひとつに日本的意匠を施した高峰邸があります。1904年のセントルイス万国博覧会終了後に日本館を譲り受けた高峰は、それを日米親善のための社交場として活用し、1912年にマンハッタンに建てられた高峰の本邸もまた異文化相互理解を目的として、室内に本格的な日本的意匠を施しました。
これらの室内意匠を請け負ったのが、京都高等工芸学校初代助教授であった牧野克次です。牧野は中澤岩太や武田五一といった京都高等工芸学校初期の教授陣の支援を得て高峰邸の室内意匠に取り掛かります。
本展覧会では、日米両国の親善の場となった二つの高峰譲吉邸に注目し、それらの建設経緯と室内意匠を紹介するとともに、高峰および京都高等工芸学校教授陣が意図した日本的意匠について考えます。 |
■ギャラリートーク■
|