平成28年度海外教育連携教員派遣報告
木下 昌大 助教 (ETH)

所属 デザイン・建築学系
氏名 木下昌大
期間 平成28年9月1日-平成29年8月31日
滞在先

スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)

スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ)について

 スイスのチューリッヒにある、スイス連邦経済・教育・研究省配下の公立大学である。自然科学と工学を対象とした工科大学であり、1855年に創設され、多くのノーベル賞受賞者を輩出し、さまざまな大学ランキングの上位に入る。建築学科からは、スイス国内のみならず、世界の第一線で活躍する建築家を多く輩出している。

建築学科ヘンガーベルク校舎

ETHZの建築教育

 ライセンス制度が無いスイスは、「大学の建築学科を卒業すること=建築家として社会で活動する」というシステムとなっている。そのため、大学での設計教育は実践に即した側面が強い。その特徴を挙げていきたい。

・セメスター制とインターン

 1年を2学期に分けたセメスター制が取られており、マスターを卒業するまでに9つのセメスターを終了する必要がある。日本の大学のような「一般教養」は無く、更にはセメスターを連続して受講する必要もなく、休みを取ったり、実務経験を経て戻ることも通常に行われている。実務経験を積むインターンは1年以上の期間が義務付けられており、学生は世界中からインターン先の設計事務所を選び、実践の場で実務を経験する。

・スタジオ制による設計教育

 研究室に所属するのではなく、世界中から招聘された建築家がもつスタジオに所属し、そのスタジオ毎のテーマに沿って、設計教育を受ける。スタジオはセメスター毎に変えることができ、いろいろな教授から学ぶ機会が用意されている。スタジオには教授以外にアシスタントが複数名配置されており、スタジオでの成果は展覧会や書籍としてまとめられる。講評は、スタジオを受け持つ教授のみならず、複数名のゲストクリティークにより多角的に行われる。ゲストの中には、現役の建築家だけでなく、建築史の研究者、建築の評論家、都市計画やランドスケープの実務者や研究者、社会学者や哲学者などが学内外、国内外から招聘されている。ゲストのなかには学内の研究者も少なくない。建築史や建築論を専門とする教授は、自らは研究や講義に専念し、設計指導をすることはないが、最終講評会もしくは中間講評会などで、その専門的知見から講評を行う役割を担っている。また、スタジオには、セミナーウィークという期間が設けられており、世界中から都市や建築を選定して、教授とともに実際にそこを訪れ、リサーチし、その結果を本にまとめ、設計に反映する。既存の都市や建築を読み解く能力を養うための機会を大学側で用意しているのである。

・専門図書等の充実

 建築学科専用の図書館があり、専門書が充実しているだけでなく、建築素材についてのアーカイブがあり、建築設計課題に取り組む際、実際の素材を図書館で確認することができる。

建築学科図書館の建築素材アーカイブ

建築学科図書館の建築素材アーカイブ

スイスの教育システムと建築

 スイスの建築は総じてデザイン的にも性能的にも高い水準が保たれている。それは、大学の建築教育が優れているというだけではなく、建物を実際に建てる職人の質によるところも大きい。その背景には、スイスの教育システムがある。スイスは、幼稚園2年を含む11年間の義務教育期間を設けている。小学校6年時に成績と評価に基づき卒業後の進路が決まり、長期ギムナジウム(6年制、進学するには入学試験の合格が必要)もしくは中学校(3年制)に進むことになる。ギムナジウムではマトゥーラと呼ばれる大学入学資格を得て卒業し、マトゥーラを取得するとスイスの大学には無試験で入学が許可され、ETH等の大学に進学することができる。一方、小学校卒業後に中学へ進学した場合は、中学時から企業等で体験職業訓練を受け、将来の職業について思考する。そして義務教育修了後は、ほとんどの生徒が学校と実地訓練からなる職業訓練の道に進む。スイスでは、あらゆる分野の職人の地位や給与水準を保つために、このような教育システムが保持されているのである。その結果、日本のように若者の建設業離れや高齢化に伴う職人不足というようなことは起こらず、高い技術を保持した職人が一定数確保され、建築の高い水準を担保する。

アダム・カルーソによるスタジオ最終講評会の様子

アダム・カルーソによるスタジオ最終講評会の様子

スイスでの生活から学んだこと

 スイスは日本と同じくらい安全で衛生的であるが、その根本にある社会のシステムもしくは人々の倫理観が大きく異なるように感じた。その違いは、生活してみて気づく街のディテールにあらわれてくる。例えば、公園の遊具。日本に比べるとスイスの遊具は、大人でも尻込みするようなエキサイティングなものが少なくない。日本では、公園の遊具で子どもが怪我をした場合、管理者の責任が強く問われるため、遊具は保守的でとても退屈なものになる。一方スイスは、最低限の安全基準を満たしていれば、その先は自己責任だという考えのもと、とても楽しげな遊具が多種多様に用意されている。そしてもう一つの例は、駅の改札の有無。スイスの駅には改札がない。その代わり、稀に車中で切符のチェックが行われ、その際、持っていない場合は高い罰金が課される。しかし、このチェックもそれほど頻繁ではないため、日本の改札のように切符の有無を全数チェックするようなシステムにはなっていない。基本的に、「切符は買って当然」という信頼のもと運用されているのかもしれない。その結果、改札のない駅は、街とホームに境界をつくらないため、駅により街が分断されることはなく、むしろ、駅がスムーズに離れた都市をつなぎあわせることになる。

 環境は人と人との関係をつくるが、その環境は人と人との関係を形にしたものでもある。他人に寛容な社会は、人に寛容な環境を生むということなのだろう。建築や都市を形づくる一員として、改めて人と人との関係をつくることの大切さをスイスの生活の中で気づかされた。

スイスの遊具

スイスの遊具