「Design-centric Engineering Program」の波及・展開による工学分野の変革

2019年度から大学院でスタートしている「Design-centric Engineering Program(dCEP)」。そのプログラム内容や目標について小野芳朗理事・副学長に寄稿していただきました。

 

 今日において、世界の情勢は目まぐるしく変化しており、ICTが発展し、ネットワーク化やIoTの利活用が進む第4次産業革命という世界的な動きに対し、我が国においてもICTを最大限に活用し、サイバー空間とフィジカル空間(現実世界)とを融合させた取組により、人々に豊かさをもたらす「超スマート社会」を未来社会の姿「Society 5.0」として共有し、その実現に向けた一連の取組を更に深化させつつ、強力に推進する方針が打ち出されている。このような状況下において、「工学」の教育研究のあり方も大きく転換させなければいけない状況が生まれている。  第4次産業革命が進み、あらゆる社会インフラの在り方が変容していく中では、従来と本質的に異なるイノベーションを導く工学が求められるようになってきている。そこで行われる技術開発・製品開発には、従来の理論化(ロジカルシンキング)と分析(クリティカルシンキング)だけによるのではなく、変容する社会全体を見渡し、そこで生起している真のニーズの変化、材料からシステムやサービスに至る価値連鎖を俯瞰的に理解することで、個別の革新技術をイノベーションに導く方法「デザインシンキング」が求められると考える。  我が国でもその考え方に基づく教育研究が進みつつあるが、多くの場合、機械工学や情報工学の特定領域での応用、或いは、工学の広い領域を束ねる際の共通理解・方法としての利用などに限られているのが現状である。

「デザインを中核」とした工学教育プログラムの展開

 京都工芸繊維大学は、京都蚕業講習所(1899年)と京都高等工芸学校(1902年)を前身としており、開設当時から我が国の産業界と深い関わりを持ち、芸術・文化と産業技術が深く結びついた京都の地で、ものづくりを基盤とした「実学」を目指した個性ある教育研究を行ってきた。  大学の規模は1学部1研究科の単科大学ではあるが、バイオ、材料、電子、情報、機械、環境などの先端科学技術分野から建築・デザインまで、様々な社会ニーズに対応できる幅広い学術基盤を有している。  近年においては、これらの環境を活かした企業インターンシップや海外連携大学とのワークショップの場を活かした課題解決型のアクティブラーニング(PBL)を積極的に取り組んでいる。2014年に設置したKYOTO Design Lab(D-lab)においては、海外連携大学とのコラボレーションによるワークショップをベースとした分野融合のPBLを展開している。とりわけ、スタンフォード大学との連携においては、同大学が世界的に展開している産学連携教育プログラム「ME310」に我が国から唯一の大学として参画しており、そこでは「デザインシンキング」の方法論によりプロジェクトが展開されている。その場における「デザイン」とは従来の「スタイリング」や、ものづくりにおける「仕上げ」といったものではなく、隠れたニーズの発掘や新しい経験の創造、そこから導かれる「新しいコンセプトの提案」といった「ものづくりに先立つ概念設計」までを包含した広範な意味合いを有しており、特定の分野に捉われず全ての分野共通の方法論として活用されている。  本学では、この教育手法を工学分野全般に適用可能な方法にし、工学の各分野で生まれる革新的な要素技術やプロダクトを社会課題解決に結実させる実践的理論と展開力を身に付けた博士人材を育成するべく、2019年度から大学院工芸科学研究科(博士前・後期課程)において「Design-centric Engineering Program(dCEP)」を開講する。

実践の場「セッション」、検証・評価のための「テストベッド」

 dCEPは、分野・年次の異なる複数名の学生からなるグループ(修士・博士混成チーム)に対し、課題を提示することから始まる。提示される課題は、既存の枠組みでの製品開発等ではなく、対象となる革新技術やプロトタイプを、社会全体の俯瞰的理解と社会ニーズの利用者視点での見極めにより、新しい価値に結び付けるものとなる。例えば、「便利な掃除機」の開発ではなく、「毎日の掃除という行為をどうするか」という課題が提示され、真のニーズに応えるプロダクトを構想し、具現化するイメージが適切であろう。  dCEPの中核となる「セッション」は、学生が研究対象とする革新的要素技術やプロトタイプをデザインシンキングで社会実装に導く方法と課題抽出を学ぶ、実践の場となる。セッションには、社会的課題や真のニーズを提示するクライアントとしての企業・行政、課題解決に関連する異分野の専門家が参加し、実践的な発想力・俯瞰力をもつ国内外の連携機関に所属するデザイナーやデザイン研究者がファシリテーターとなりリードする。セッションは学生が研究対象とする要素技術や、プロトタイプの特徴が最も高い価値(社会的価値、経済的価値)として評価される社会ニーズのリサーチから始まり、1クオーター(2ヶ月)を一つの単位として複クオーターに亘り複数のセッションが実施される。  学生は、革新技術を社会実装する具体的プロセスと課題を明らかにし、ニーズを利用者視点で見極め、革新的技術を新しい価値に結び付けることを目指して創発的議論と検証を行う。当初は議論・検証に混乱が生じることが予想される。そうした混乱により複雑化する議論を統合・収束するための方法として、常に試験的にプロトタイプを試作し、それを多様な視点から具体的に検証することを繰り返すプロトタイピングメソッドを採用する。  このプロトタイピングメソッドと連動して実施されるのが、検証・評価の実習である。インパクトのある革新的なシステムや製品のプロトタイプの検証においては、それらが先端的技術に基づいているほど、それらの性能・特性の卓越性、再現性、安定性等について定量的な実証・検証が必要となる。そうした実証試験実習を行うプラットフォームとして、「テストベッド」が設けられる。これは、先端的な知識とスキル、評価装置、及び設備・環境が必要とされるため、D-labを始めとする学内の研究施設に設けられ、学生が所属する各専攻と連動することになる。  最終的な学修評価は、実習においての課題解決の成否を問うのではなく、その過程において、どれだけの俯瞰的発想力、構想力、及び展開力を身に付けたのかを評価する。具体的には、所属する専攻で研究した最先端技術を社会実装するための具体的プロセスと課題解決策を含む実用化計画書もしくは事業計画書を作成でき、その要点について説得力のあるプレゼンテーションをできるかを問う。dCEPは、社会実装を最終的な目標としてシステムや製品の開発に挑むプログラムであるため、完成度の高い実用化計画書や事業計画書はクライアントからの投資対象になることも期待される。

デザインシンキングの全学的波及に向けて

 dCEPの実施にあたっての重要課題は、社会実装に向けた実践力養成と、「Design-centric Engineering」を工学全体に展開させる波及力であると考えている。  まずは、dCEPを大学全体のデザインシンキングを方法的基盤とする社会的課題解決型の教育研究体制を作るパイロットプログラムと位置付ける。それが「知」・「資金」・「人材」の循環を促すことによってプログラムの継続発展の先行事例となる。デザインシンキングの方法論と工学各分野の設計論を接続し、材料からシステムやサービスに至る価値連鎖を俯瞰的に理解することで、未来社会基盤の創成に有効な新たな工学の体系化と構造化を実現する。