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私は建築学の立場から「都市史」や「文化的景観」について研究をしています。近年では自然環境との関係性を重視した「領域史」という視野においても研究をすすめています。
都市史とは、太古の時代から現代まで、人が住み暮らしてきた空間と社会の歴史を明らかにする研究です。
都市には、災害や戦争、それを乗り越えようとする技術や文化・芸術など、人間が生み出してきた多様なできごとが含み込まれています。それは人間そのものを知るフィールドといってよいでしょう。
都市史は、都市や地域の変化を明らかにし、その特徴や特質を発見することにあります。歴史や文化の特質、固有性を知ることは、それを有する地域や人々のアイデンティティを明確化することでもあります。
「土地ならでは」のくらしかたや魅力を理解することで、未来にむかってどのように暮らし続けていくべきか、その道しるべやデザインのありようを、照らし出すことができるのです。
地域の歴史を知るためには、古い史料を読み、古い建物を実測し、その変化の痕跡をモノから読み取ります。過去の地図や絵図も用いて、空間や景観がどのように変化したのかもみていきます。言い換えると、建築実測や地形測量、力学等の工学的な方法と、史料読解などの文系の方法を両方もちいて分析をするのが、建築学的な立場にたつ都市史研究の特徴です。
しかし、なぜ都市史のような学問が必要なのでしょうか。
わかりやすいところでいうと、都市史研究はユネスコ世界文化遺産や日本における文化財保護法といった制度において、登録や選定を行う際の学術的分析に生かされています。
すこし、ユネスコ世界文化遺産を例にとって考えてみましょう。ユネスコ世界文化遺産は「地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれ、そして私たちが未来の世代に引き継いでいくべきかけがえのない宝物です。」というように説明されます。建築史や都市史といった学問は、このようなかけがえのない宝物の歴史的、文化的価値を理解し、見極めるためにも役立てられてきました。
価値の基準も変化する
歴史的価値を研究する学問を背景にユネスコ世界文化遺産の登録は検討されるわけですが、ここで立ち止まってユネスコ世界文化遺産についても考えてみましょう。世界遺産は絶対的な基準なのでしょうか。
そもそも、ユネスコ世界文化遺産とは1972年にユネスコ総会で批准された「世界遺産条約」とよばれる国際条約のことです。1972年からの約20年間、世界遺産登録される物件は、ヨーロッパを中心とする世界の先進地域の歴史都市、宗教モニュメントに偏り、それ以外の地域の生活文化少数民族やの基準は偏っていました。
その状況をユネスコそのものも反省し、1994年以降、グローバル・ストラテジーとして新たな価値観の転換がはかられ、価値基準そのものも徐々に変化をしてきています。具体的には、西欧中心主義的な価値観から離れて、各地域の文化的文脈から価値を見出すべきであるという考え方にもとづき、文化的多様性を重視するように変化しました。これによってヨーロッパ以外の小国の登録物件が増加し、新しいカテゴリーが導入されるようになりました。
このように、世界遺産という基準も、決して絶対的なものではないのです。そして、歴史学はあくまで事実を照らし出す参照系にはなりますが、客観的な事実を学術的に明らかにするものであり、価値や歴史を創出するものではありません。グローバル・ストラテジー以降、世界遺産に新たに加えられたカテゴリーのひとつ「文化的景観 cultural landscape」も、都市史研究が関係する枠組のひとつとして重要なので説明しておきます。
「文化的景観」とは地形・水系・地質などその土地固有の「自然環境」に対して、人間が生活・生業を営むことでつくり出してきた景観のことです。
たとえば日本で代表的な文化的景観に棚田があります。人間は米をつくりだすために。傾斜地に水平な土地を用意し、気候や季節にあわせて稲を育ててきました。こうして長い時間をかけて自然と人間が一緒になってつくってきたのが文化的景観というわけです。
文化的景観において重要なことは、変化し、進化し続けている景観であるということです。皆さんが世界遺産として思い浮かべる、寺社や教会建築の価値は創建当時の状況を継承しているかということが重要ですが、文化的景観は違います。むしろ文化的景観をつくり出す本質的なしくみ、自然と人間の関係や見えないルール、こうしたエッセンスを理解し、保全することによって、技術や経済的な変化を受入、持続可能なくらしを維持していこうということにあります。たとえば、世界遺産登録されている文化的景観にワイン生産があります。
ワインの文化的景観
ワインというお酒が、なぜ文化的景観として世界遺産に登録されてきたのでしょう。
実は、ワインは、紀元前に生まれてから、人間の住まう土地、暮らし、キリスト教と密接に関係してきました。従って、今見るワイン畑の景色には、地域の歴史と暮らしが積み重ねられているのです。2022年現在まで、ワインに関係する世界遺産登録は13件あります。そのなかで2014年に世界遺産登録された、北イタリアの事例をみていきましょう。
ピエモンテの葡萄畑の景観:ランゲ=ロエーロとモンフェッラート 2014年登録
これはイタリアのピエモンテ州南部に位置するランゲ・ロエロとモンフェッラートという5つのワイン生産地と城からなる葡萄畑の景観です。
一帯では長い時間をかけて、土壌や、多くは野生種である葡萄を改良し、最適なワインづくりを発展させてきました。丘陵斜面を開墾して作り出された葡萄畑は、村落や城、ロマネスク教会、農園、ワイン販売所など周辺の風景と調和した景観を生み出しています。そこには長年におよぶ葡萄栽培とワインづくりに関する技術的、経済的プロセス全般を包括しているものです。
「変化」を許容し、未来への可能性をひらく
その景観には、長い歴史に由来するブドウ栽培とワイン醸造の伝統、および現在に至るまで継続的に改良と適応が行われてきたことが現れている、まさに生きた証といえます。
葡萄畑の列は、人間の熟練した経験知によって丘の勾配に添わせてつくられていることが理解されています。地質にあわせて基盤岩を削り出した建物や地下室、テーブルも造られてきた歴史があります。これもこの地域固有の景観となっています。こうした地域の固有性を継承してきた、生産者同士の知見やしくみを保ちながら、生産技術の向上や経済性に応じた「進化」「変化」は許容されて現在があるわけです。
したがって、これからの未来も地域の変えてはならない本質を大事にする一方で、地域は「変化」を受け入れることで、地域の未来は大きな可能性を得るのです。
茶畑の文化的景観
海外のワインと同様に、日本におけるお茶づくりの景観も文化的景観です。
お茶は鎌倉時代に禅僧が持ち込んだものですが、煎茶や抹茶という独自の製法をつくり出し、茶の湯文化にまで昇華されてきました。茶畑と茶工場でつくられる荒茶が、茶師によって調合され都市でたしなまれるまでのプロセスはまさにワインと同じです。
和束町の茶畑の文化的景観
近年調査をした文化的景観が、宇治茶産地の和束町です。和束町に行くと、その一面の茶畑景観に圧倒されますが、実は小集落ごとに景観の特徴には違いがあり、それを読み解いて行くと、集落独自の茶生産の歴史が刻み込まれているのがわかります。
商品作物である「茶」の生産に、早い時期から取り組んだのか、斜面地形が急峻なのかどうか、こうした様々な環境的、人的要素によって文化的景観には固有の価値がうまれているのです。
ワインづくりとお茶づくり、どうやらそこには比較すると色々なことが見えてきそうです。それは、どちらも高い品質と付加価値を求めてきた歴史が刻まれた産品であることが関係しています。それを考える上で、私は「テロワール」という概念を用いて、比較研究をしています。
「テロワール」とは特徴的な個性をもつワインについて、それをつくり出した土地のことを意味するワイン用語です。たとえば「このワインにはあのテロワール(土地)があらわれている」というような使い方をして、ワインの背景にある生産環境や人的営為を評価する言葉です。
とくに近年の公的定義では人的営為が評価がされていますので「自然環境と人的知見が相互に作用しあい、固有のワインをつくりだしてきた唯一無二の土地」 と要約できます。
「テロワール」はなにからできている?
テロワールという言葉は中世フランスに初出がありますが、時代に応じて変化を遂げてきた概念で、理解が難しい側面もありますが、ここではテロワールがなにから造られているかということから考えてみましょう。
まず、自然環境面からみていきましょう。テロワールはワインをつくる「土地」のことですので、それは地質、土壌、地形勾配、微気候、排水性といった物理的な構成要素からなりたっています。たとえば、石灰岩土壌で日当たりが良い南東斜面で、水はけも良いというような物理的環境は美味しいワインをつくる典型的な環境といってよいでしょう。
しかし、自然環境だけではテロワールはつくられません。地質や地形を読み取り、品種を選び、収穫期を検討してきたのも、醸造や加工技術を調整し、道具を進化させ、流通方法や消費文化をつくってきたのも人間の継続的な進化の試みと知見の集積によるものです。つまり、テロワールとは自然風土に寄り添い、立ち向かってきた人間によってつくられたもので、そこには人間社会の経済的、文化的、精神的な営みが反映されているというわけです。そう考えるとテロワールは文化的景観とも共通する側面がかなりあります。
ただ、文化的景観とテロワールにも違いがあります。文化的景観は「景観」という視覚的にに立ち現れるものから、その歴史的特質、背景の構造をさぐりそれを保全活用の指針にするものです。一方、「テロワール」という見方は、景観のみならず、流通や消費、都市文化といった見えないモノや評価の動きを可視化させるフィルターになるのです。そして「価値評価」という移り変わるものが市場を動かし、生産を変えていくというモノづくり文化の循環構造を空間に見出すことができるといえます。
「テロワール」でみえてくるもの
こうしたテロワールの概念を明確化することで、新たな都市史、さらにひろがる領域史を捉えることができます。人間がつくりだした「産品」というフィルターを通して、人間の暮らしの歴史と空間を再度読み直すことで、都市史は世界的な空間軸と、長期持続的な時間軸から読み解くことができるのです。
また「テロワール」を「畑」のような小さなスケールで捉えるのか、「文化圏」のような大きなスケールで捉えるかによって、地域の独自性やアイデンティティ、そして文化の継承性と連帯性などがみえてきます。これはこれからのわたしたちのくらし、生活を考える指針、価値観として重要なものといえます。
このように都市領域史や文化的景観という研究は、空間と時間を捉える分野ですが、「価値」をどのように捉えるべきか、その基準を常に問いただしながら、固有の特質を価値として見出すことが大事になってきます。そして、未来を考えるためには、過去を理解し、未来の変化にむけてどのような舵取りをしていくべきか、こうしたことがきわめて重要になってきます。 時間をかけて価値を見極め、時には価値観の転換を求めていくことが求められています。可能なかぎりの知見と視野を総合化させて、日々のくらしと大きな時間軸の流れを重ね合わせて都市領域史的視点でみつめなおすとき、わたしたちはよりよい未来をつくることができるはずです。