本展覧会は、2011年度に京都市内の13大学14ミュージアムが連携して立ち上げた「京都・大学ミュージアム連携」の活動の一環として、京都工芸繊維大学美術工芸資料館と京都市立芸術大学芸術資料館の合同企画として開催するものです。
2014年に開催した「浅井忠・武田五一と神坂雪佳 ―京都高等工芸学校・京都市立美術工芸学校の図案教育Ⅰ」では、京都高等工芸学校と京都市立美術工芸学校の2校の図案科の設立期に焦点をあて、両校の教育カリキュラムとその成果物である生徒作品を通して明治期の図案教育について比較しました。
連続企画の第2回目となる本展では、両校の設立初期から明治後期・大正期に時代を移して、両校の生徒作品から当時の図案の変化を見ていきます。
京都市立美術工芸学校図案科は1907(明治40)年に京都御苑内の校舎から上京区吉田川端通荒神口上ル二筋目東入ルの新築校舎に移転し、また1909(明治42)年には美術工芸学校の一部を使用して京都市立絵画専門学校を開校しました。京都府画学校に端を発する美術工芸学校は、高度な描画技術とそれに裏付けられた図案制作技術の習得を目指した指導を継続していました。
一方、京都高等工芸学校図案科では、初代教授の浅井忠が1907(明治40)年に死去し、その後は建築家の武田五一と同じく建築家の本野精吾を中心として、図案制作に関わる知識や技術を「図案学」というひとつの領域として構築することを目指した教育をおこなっていました。
当時は実社会においても公共機関が主催する図案公募展や百貨店を中心とした企業が企画する図案懸賞などが増加し、図案がひとつの分野として確立されていった時期です。そうした時代の中で、社会の要請に応える人材を育成するためにおこなわれていた図案教育の成果の一側面をご覧ください。