平成29年度海外教育連携教員派遣報告
永原 哲彦 助教 (ミラノ工科大学)

所属 材料化学系
氏名 永原 哲彦 助教
期間 平成29年4月1日-平成30年3月23日
滞在先 ミラノ工科大学(イタリア)

H29年4月よりH30年3月末日までの予定で、イタリアのミラノ工科大学 物理学科 Giulio Cerullo教授の研究グループに滞在している。この研究グループは超高速レーザ分光を方法論の開発と共に行っており、小職の研究の興味とよく合致している。グループ内では様々なプロジェクトが行われているが、小職は主に装置やレーザの改良を行いながら超短パルスレーザを使った分光の研究指導を行っている。滞在先とそこでの活動について報告する。

大学の名前の通り、主なキャンパスは日本では県くらいの単位に相当するコムーネ ディ ミラノにあるが、他に湖水地方などのいくつかキャンパスから構成される1863年創設のヨーロッパ屈指の工科大学である。物理学科のあるレオナルド キャンパスは、その名前通りレオナルド・ダ・ビンチの名前を冠しており、キャンパス前には芝生のレオナルド・ダ・ビンチ広場が広がる。(写真1、レオナルド・ダ・ビンチ広場から見た正門と本部建物)周辺には、CNR, IITなどの日本でいう国立研究所や他大学(例えばミラノ大学)のいくつかの学科も位置している。ムッソリーニがパルチザンに拘束され銃殺後に吊されたロレート広場からは地下鉄一駅(ピオーラ駅)と近いが、昔に城壁があった旧市街地よりは外側のチッタ ストゥーディ(学研都市)という場所にある。日本では県境の山間など辺境に作られることが多い学研都市とは異なり、市内中心部から徒歩または市電や地下鉄などを使って簡単に通うことが出来る。実際、小職も市内中心部ドゥーモから徒歩5分ほどの距離にある大学の宿舎から、毎日片道30分かけて市電で通勤している。


写真1.レオナルド・ダ・ビンチ広場から見た正門と本部建物

写真1.レオナルド・ダ・ビンチ広場から見た
正門と本部建物

イタリアの首都は南部のローマであるが経済の中心は北部であり、ミラノのあるロンバルディア州とベネチアのあるベネト州で国の30%の経済を動かしている。また世界中からの投資の対象にもなっている。そういう事情もあって市内の地価は異常に高いため、多くの大学院生や助教・ポスドクなど若手研究者は市内のずっと外れのアパートに大人数でルームシェアして住んでいるようである。実際、ポスドクの1,700ユーロ程度の月給(博士課程学生の給与はずっと少ない)で市内のアパートの家賃を払って生活することは到底不可能で、大人数でシェアし300~500ユーロ程度で住んでいるようである。市内で働く人達も同様で、休日を家族と過ごす習慣とも相まって、月曜日と金曜日の市電や地下鉄は帰省するための大きなトランクを持った通勤・通学客で一杯である。またほとんどが平野で、モンツァ、ベルガモなど周辺の通勤1時間程度の都市の人口も多いため、平日昼間の人口は一位のローマを抜いていると言われている。

経済的に豊かなことから移民などの外国人が非常に多く、EU域外からの長期滞在者(小職も含む)についてビザに加えて必要な在留許可申請では、まず始めに移民向け教育プログラムが課せられる。おそらくトラブル無く市民生活をおくれる様に配慮されているのであろう。小職も4月に在留許可を申請し、6月に夜間小中学校にて丸2日間の教育プログラムを受講し、8月に警察署で両手10指の指紋と掌紋の採取を経て、10月にやっと正式な在留許可が出たばかりである。この在留許可(1年)は次回以降の更新の際にポイント制になっており、実用レベルのイタリア語が出来なければ更新は不可能になっている。すなわち夜間小中学校で行われている無料の語学講座を受講しポイントを集めていくか、あるいは教会や大学、プライベートで行われている講座などで勉強し専門機関の試験を合格してポイントを得る必要がある。EU域外からの外国人留学生・研究者の多くは、学内で夕方から行われる語学講座を受講し試験合格をめざすことになる。このように移民をトラブル無く市民として受け入れるためのシステムが、非常にうまく作られていると感心させられた。ただ、これらのシステムを機能させるために必要な書類・手続きが非常に多く、我々EU域外の外国人長期滞在者と雇用主にとっては大変である。大学の場合はこれらの書類作成やトラブル解決を行う専門スタッフを1人常駐させているが、日系の商社などは専門ブローカーを使っている様である。同僚のイタリア人研究者(パートナーは弁護士)は、「イタリア人は書類と規則が大好きだけど、規則は誰も守らない」と笑っていたが、実際はルール通りの手続きを踏まなければ国外退去させられるのであろう。医療や社会福祉は充実しており、基本的には医療費も大型ゴミも無料である。市内の交通も90分1.5ユーロと格安、食料・衣料も安く気候も温暖で、家賃が高額なことを除けば大変過ごしやすい。そのようなこともあって安い給料で皆が暮らしていけるため、路上生活者が他の大都市と比べて大変少ないのだろうか。アメリカの圧力によって共産主義国にならなかったが、イタリア人の多くは共産主義的だそうだ。充実した医療・福祉などは日本とも通じるものがある。

対して大学については、近隣のドイツ、フランス、スイスなどと異なり国からの助成がほとんど見込めないので大変厳しく、研究グループの大きさはEUから得る研究資金の大きさによってほぼ決まっている。外国人に対して比較的寛容なこととEU域内は比較的自由に移動できることから、研究者や大学院生は様々な国籍から構成されている。所属しているグループの場合は、正教授、助教相当(各1)が全てイタリア人であるが、終身雇用に近い研究員を含めたポスドクの構成はイタリア3, スペイン1, ブラジル1, 中国1であり、また基本的に給与制である優秀な大学院生を集めるため博士課程学生の構成もイタリア2, ブラジル2, スペイン1と多国籍である。他に小職を含めて常駐している訪問研究者がドイツ1, 日本1であり、週1回のミーティングに限らずグループ内の会話は全て英語で行われている。若手研究者は基本的に任期制で給料は驚くほど安いが、終身雇用への転換ルールは日本の大学とは異なり、かなり明瞭に基準が示されている。従って、到達は難しいとしても目標の設定は比較的容易であって、例えば博士課程進学のためにはEUから奨学金(給与)をとる、ポスドク何年以内にある種のファンド(給与・研究資金、マヒコヒやキューリーなどノーベル賞受賞者などの名前を冠している、日本での学振PDに相当?)を取る、独立研究者になるためにはEUから一定額以上のファンド(大型装置を購入できる規模、日本では基盤研究A・Bに相当?)を取るなどである。皆目標に向かって必死に努力していて、そのための環境が得られなければ移動する。日本とは雇用の仕組みが大きく異なるため、1~2年の社会人経験を積んで大学院生になることや、キャリア数年の博士研究員が会社員になることは非常によくあり、熾烈な競争も社会が寛容であるために成り立っている部分があると感じた。(写真2、学部長の研究室訪問・若手研究者との会合の際の研究グループの集合写真、右から4人目が学部長、滞在先ホストの教授は多忙のため不在。)写真2の学部長の研究室訪問後のコーヒータイムでは、若手教員・研究者との処遇改善(主にポストをどう配分するか)の直接討論が1.5時間ほど行われた。小職には、国が大学にたいして補助金を増やさないので終身ポストは増やしようも無く、このような研究室訪問は若手への単なるガス抜きの様に見えた。我が国の状況も同様であろうか。


写真2.学部長の研究室訪問・若手研究者との会合の際の研究グループの集合写真

写真2.学部長の研究室訪問・若手研究者
との会合の際の研究グループの集合写真
右から4人目が学部長、滞在先ホスト
の教授は多忙のため不在

前述のようにイタリア人が規則を好きな為なのか、あるいは様々なバックグラウンドの構成員に対して規則を明確にする必要があるためか、安全管理・教育も非常に明確で厳格である。訪問研究者であっても、学内で作成されたオンラインビデオによる安全講習とオンラインテストを受験して合格しなければ実験室に立ち入ることは出来ない。赴任後最初に、一般安全教育、レーザ安全教育、化学安全教育それぞれのオンライン講習(各1~2時間)と試験を受け、それぞれ印刷した合格証明書に担当の安全管理者複数名の署名を貰い技術職員に提出した。化学安全教育は英語版が無くイタリア語版のみであったため辞書を引きながら大変苦労して受験した。どうしても分からない設問に対しては「該当しない」を選ぶと高確率で当たるというアドバイスをスペイン人留学生から聞いて、なんとか2回目で合格したというのはナイショである。個人と実験室は各々カードキーで集中管理されているので、それぞれの安全教育を合格しなければ各部屋への立ち入りは出来ない。また、キャンパスの門も同様で、基本的には平日朝6時半から夕方9時(夏季は夕方8時)までしかキャンパス内に滞在できず、もし退出が遅れれば電動の門が閉じて完全に閉じ込められる。土日や深夜早朝は、前述の安全管理者(数名)でなければ、正教授であってもカードキーで門を開けてキャンパス内に立ち入ることは不可能である。誰に聞いても本当の理由が分からないが、大通りを渡って反対側の建築学科などのあるキャンパスでは夜間も学生であっても入退出が可能である。「ゲージツカ」は深夜早朝の労働が許されるということなのだろうか。

授業については、基本的に学部教育はイタリア語で大学院教育は英語で行われている。学部教育は日本と同様の大教室で黒板を使った板書講義が中心に行われている。力学や電磁気学が中心で、教科書もイタリア語であるが化学が専門の小職でもよく分かるものであった。講義時間はおおよそ2時間で、途中に休憩を挟む教員もいる。半期に2回の試験と毎回のレポートまたは小テストを課すが、毎回のレポート・小テストの採点と受講生の質問(曜日・時間が決められている)への対応は全て博士課程のチューターが行っていて、教員の授業負担を軽減し研究に注力できる工夫がなされている。チューターとなる博士課程が皆優秀だから成り立つシステムなのかも知れない。物理学科は学内の他の物理の授業も担当しているため、ポスドクの何人かは他キャンパスに力学などの出張授業をする必要があり大変である。あるイタリア人女性ポスドクに聞いてみたところ、講義の手当は1時間50で往復2時間・授業2時間で100ユーロでは割に合わないと愚痴をこぼしていた。授業の準備や試験の採点を考えれば大変なことだと思うが、研究グループの正教授達はいずれも非常に多忙なのでポスドクが穴埋めせざるを得ないのだろう。ここは物理学科とは言っても、ほとんどレーザに特化した研究グループばかりで構成されているので、大学院教育は非線形光学など非常に専門性の高い偏った授業で構成されている。一緒に実験しているブラジル人のポスドクと2人で昼食時に、大学院レベルの統計力学や熱力学の講義をきちんと行っていないのは問題じゃ無いかと聞くと、同僚のイタリア人(終身雇用に近い研究員)は、工科大学だから仕方が無いといつも言い訳している。レベルは異なるものの、同じ工科大学の本学でも教員個人の研究に密接に関係した偏った授業になっていないだろうか。深く考えさせられた。ただし、こちらの大学院生は自分で勉強するスピードが非常に速いので、必要になったら各自で勉強して補っているようにも見える。事実、2週間の卒業研究(と言えるのかどうかも怪しいが)を経て大学院に進学すると、たとえ同じ学科から進学した場合であっても驚くほど何も知らない状態で研究を始めることになる。それでもなんとかなってしまうのは、学生が自分で勉強して補っているからであろう。もちろん、学生に努力させるための方法もあって、博士課程学生は年に1回のプレゼンテーションと口頭試問が課されている。

ホストの教授は非常に多忙であり、研究装置の性能を世界中に売り込んで実験サンプルを集めてくる、ある種のセールスマンのような人である。たまにキャンパス内に居ても、1日に実験室に15分も居られない、直ぐに携帯電話が鳴るような具合である。常に多数の国際共同研究が動いているが、これまでにドイツ、イスラエル、イギリス、サウジアラビアとの共同研究実験各一件を訪問研究者でありながら担当させて貰っている。ユダヤ人研究者が金曜日午後から土曜にかけてはシャバットで休み、日曜日は働く日だから実験したいと言い出すなど、宗教・文化の違いを楽しみながら研究を行っている。これら国際共同研究の打ち合わせは主に電子メールで行い、ある程度まとまったところで討論をインターネット経由のビデオ会議で行う。研究は目標を定めて、常にディスカッションで始まりディスカッションで終わる具合で、日本でこれまでに時々経験したとりあえず測ってみる実験はあり得ない。共同研究以外では、実験装置の測定プログラムやデータ解析プログラム、超短パルスレーザの広帯域化などの改良を行いながら、電子状態2次元分光の方法論の開発と実験を行っている。これらの研究は、実験サンプルによる当たり外れもあり1年間という期間で成果を生むとは限らないが、関わったプロジェクトのうち成果を公表できるものが出てくれば大変うれしいと考え日々努力している。