令和元年度海外教育連携教員派遣報告
永井 孝幸 准教授 (EPFL)

所属 情報工学・人間科学系
氏名 永井 孝幸 准教授
期間 平成31年4月14日-令和元年9月13日
滞在先 スイス連邦工科大学ローザンヌ校

・ローザンヌの様子

私は2019年の4月から9月までスイス南部のローザンヌにあるEPFL(École polytechnique fédérale de Lausanne, スイス連邦工科大学ローザンヌ校)に滞在しています。日本人にとってローザンヌと言えばバレエコンクールでお馴染みですが、国際オリンピック委員会の本部があり、またカプセル式コーヒーメーカーのネスプレッソ本社がある街でもあります。
 ローザンヌは人口14万人、面積42k㎡程度と京都市に比べると小さな都市ですが、スイスで4番目に大きな都市です。写真1のように市内にはトローリーバスが整備され、街を南北と東西につなぐ市営鉄道によって効率的な交通網が出来上がっています。
 スイスでは景観について厳しい条例があり、街並みはとてもきれいです。街のそこかしこに大型のゴミ箱が置いてあるおかげか、ポイ捨てされたゴミもほとんど見かけません。店の宣伝のBGMやアナウンスもなく落ち着いた雰囲気です。意外なのは歩きタバコをする人が多いことで、近くに小さい子供が居ても誰もとがめる様子がありません。スイスでは食生活・運動など健康に気を配る人が多いのですがこの点は不思議です。
 天気については湿度も低く、とても過ごしやすいです。部屋干しの洗濯物もきれいに乾きます。ただ一般家庭ではクーラーの設置が禁止されており、建物の断熱はしっかりしているものの30℃を超える真夏日は暑いです。これは大学の建物も同様です。


写真1:ローザンヌ中心部

写真1:ローザンヌ中心部

・EPFLの様子

EPFL(École polytechnique fédérale de Lausanne,英語名ではSwiss Federal Institute of Technology in Lausanne)のキャンパスはレマン湖のすぐ北側に位置しており、キャンパスの広場からはアルプスの美しい眺望が見えます(写真2)。湖の向こう岸はフランスで、ミネラルウォーターで有名なEvianの水源地があります。写真左側に見える波打った建物が有名なロレックスラーニングセンターで、日本人の建築家ユニットSANAAによる設計です。自重を建物自体のアーチ構造で支える設計で建物の下の空間には柱がありません。この空間は学内イベントで利用されているほか、暑い日の日陰のランチスペースとしても大活躍しています。
 EPFLはスイスに2つある連邦工科大学のうちの1校で(もう1校はチューリッヒにあるETH)、前身のローザンヌ工科大学(EPUL)から連邦工科大学に移行して今年でちょうど50年にあたります。広場中央にある赤いEPFLのロゴは50周年を迎えて新たにデザインされたブランドロゴのオブジェで、高さは2.6メートルもあります。
 50年前に学生数1,000名で始まったEPFLは現在では学生数10,000名、QS世界大学ランキングでも常に上位に入る世界トップレベルの大学として成功しています(2016年14位,2017年12位, 2018年22位)。ローザンヌはスイスの中でもフランス語圏に属し、キャンパスではフランス語をよく耳にします。学部教育はフランス語で行われていますが、大学院での教育は英語です。そのおかげで学内では英語ができれば問題なく過ごせます。2018年のデータによると学生11,000名のうち6,000名以上がスイス国外出身で、全世界110ヶ国以上から集まっています。キャンパスでは日本人の姿はあまり見かけません。


写真2:キャンパスの広場よりレマン湖を臨む

写真2:キャンパスの広場よりレマン湖を臨む

・EPFLとコンピュータ

EPFLのキャンパスは情報工学の専門家の視点からも興味深い場所です。EPFLでは全員に身分証としてCamiproカードと呼ばれるICカードが発行されます。このカードはカードキーと電子マネー機能も備えておりキャンパス生活に欠かせません。建物内のあちこちにCamiproカード用の情報端末(写真3)が設置されていて、出入り可能な部屋・カードの残高・支払い明細などを確認することが出来ます。学内の各種支払いに使えるのはもちろんのこと、EPFL駅周辺のスーパー・レストラン・薬局などの支払いにも使えます。
 さらにEPFL用のモバイルアプリEPFL Campusをスマートフォンにインストールすれば、利用明細を確認できるだけでなく個人間送金まで行うことが出来ます。このアプリの出来は素晴らしく、学内の各種イベントの案内や参加申込、その日のレストランのメニューと値段、成績確認、キャンパスマップ、LMS(Moodle)、交通機関の時刻表、図書館の蔵書検索などキャンパス生活に必要な情報に自在にアクセスすることができます。キャンパス内で英語が通じるとは言え、窓口がどこにあるかも分からない状況では大変にありがたい仕組みです。
 こういった仕組みを作り上げるには学内の各システムが他システムとの連携を前提に設計されている必要があり、長期的な視野に立ったIT投資が欠かせません。サービスの開発体制について尋ねたところ、学内で研究プロジェクトとして開発し、出来上がったものを外販する体制になっているということでした。Moodleを始めとする学内情報システムは全てブランドイメージに合うように調整されており、ユーザ体験を向上させるにはやはり垂直統合が欠かせないようです。情報システム担当副学長のEdouard Bungnion氏はVMware社の共同創業者の一人であり、技術・学術・ビジネスを総合的に捉えているのではないかと想像されます。


写真3:ICカード(Camiproカード)用情報端末

写真3:ICカード(Camiproカード)用情報端末

建物内にスーパーコンピュータが展示されているのも印象的です。写真4の円筒形のソファーのように見えるものは1980年代にクレイ社が開発したX-MPシリーズの最上位機種です。これが講義棟の廊下に鎮座しています。他にも学内にコンピュータ博物館(Musée Bolo)があり、スーパーコンピュータだけでなく初期の計算機から現在のコンピュータに至るまでの名機種が技術発展の系譜に合わせて綺麗に展示されています。私もここで初めて実物を見た機種がいくつもありました。将来のエンジニアに技術を継承するという強い意志を感じます。


写真4:講義棟の廊下に展示されているCRAY XMP/48

写真4:講義棟の廊下に展示されている
CRAY XMP/48

・EPFLでの活動

EPFLでは工学部のDenis Gillet教授の研究室に滞在しています。Denis教授が主催するREACT研究グループでは自動車・ロボットをはじめとするCyber Physical Systemにおける協調制御に関する研究と、オンライン教育プラットフォームを土台とした教育支援・人道支援に関する研究を行っています。私の現在の研究テーマは「次世代デジタル学習環境におけるプライバシー保護に関する技術開発」で、知り合いの研究者を通じて滞在を打診したところ何回かのメールのやり取りの末、受け入れていただけることになりました。
 REACTグループは教員1名(Denis教授)、非常勤の秘書1名、技術スタッフ2名、兼任教員1名、非常勤教員1名、博士後期課程学生3名、インターン学生1名の小さなグループです。出身はスイス・フランス・スペイン・ポルトガル・ギリシャと多彩で、研究室内でのやりとりは英語が基本ですがフランス語・スペイン語も飛び交います。
 Denis教授らの開発したオンライン教育プラットフォームGraaspはEU圏内におけるSTEM教育のオンラインプラットフォームとして幅広く活用されています。EU全域を1つのシステムでカバーできるようにクラウド上に構築されているのですが、プラットフォーム本体の開発・運用は全て2名の技術スタッフに支えられています。このお二人は何社も渡り歩いてきた凄腕のエンジニアで、ここの環境が気に入っているということでした(注:スイスでも優秀なソフトウェアエンジニアは引っ張りだこで、もっと給料の良いポジションがいくらでもあります)。
 EPFLではドクターの学生は研究プロジェクト毎に雇用される方式で、仕事として研究に取り組んでいます。昼食とお茶の時間は皆でくつろぎますが、それ以外の時間は黙々と作業に勤しんでいます。夕方の6時を過ぎるとDenis教授も含めて皆帰ってしまい、だらだらと研究室に残っているということはありません。
 研究室では毎週金曜日に定例の全体ミーティングがあり、各自の進捗を報告します。この報告がまた要点を押さえた簡潔な報告で、重要な箇所についてだけDenis教授がコメントします。小さな問題については各自で解決してしまっていて、「この共同研究の話を受けるかどうか」「次の研究プロポーザルはどうするか」といった大きな意思決定に注力しています。Denis教授はオンライン科学教育に関するEUの大型プロジェクトNext-Lab(予算630万ユーロ)の副ディレクターを務めるなど、小規模な研究チームで高い成果を挙げている方なのですが、やはり極めて高い効率で物事を進めているのだと実感できました。
 今回の私の滞在期間(4月中旬~9月中旬)はEPFLのセメスターの区切りと一致せず、Denis教授の担当するSocial Media科目に学期途中から参加させていただくことになりました。この科目はソーシャルメディアにおける課題をHCI(Human Computer Interaction)とビジネスモデルの観点から取り上げ、グループ毎にソーシャルメディアの企画を考案してプロトタイプのデモンストレーションまでを行うという内容です。面白いのは近隣のローザンヌ大学(UNIL)のビジネス専攻学生との混成クラスになっていることです。EPFLの学生は全員工学専攻なのですが、ビジネス専攻学生との混成グループにすることで技術とビジネスのバランスを取る体制になっています。私が参加出来たのはグループ活動を行う科目後半部分のみでしたが、日本に存在するソーシャルメディアサービス(レシピ共有サービス)に関連する企画を検討しているチームもあり、クックパッドや生協のミールカード等、日本での類似事例や既知の問題点について意見を交わすなど貴重な体験ができました。
 研究室での活動ですが、学生毎にはっきりと研究プロジェクトが決まっている状況で私が指導できるテーマに該当する学生がおらず、Graaspのチームと技術情報・活用方法に関して意見交換することが中心になりました。Graaspの日本での利用についてDenis教授から許可をいただき、本学でも活用できるよう準備を進めているところです。また、私の滞在中にGraaspをプログラミング教育にも利用できるよう機能追加をする話が持ち上がり、私も開発に加わって作業を行っています。

・最後に

今回の滞在は私にとって外国で暮らす初めての機会でもあり、滞在までの諸々の手続きの複雑さや不在中に家族にかかる負担など、蓋を開けてみて初めて海外派遣・生活の大変さが分かる部分も多々ありました。外国から本学を訪れる方のためにも、今回の経験を学内の情報サービスに反映させて行きたいと考えています。EPFLのキャンパスに日本人は少なく英語の要求水準も高いのですが、実力のあるメンバーとスイスの美しい自然(写真5)に囲まれて過ごすのは大変貴重な機会です。学生の皆さんには是非滞在するチャンスを掴んでもらいたいと思います。
 本稿を終えるにあたり、海外派遣を受け入れていただいたDenis Gillet教授ならびにREACTグループの皆様に感謝申し上げます。スーパーグローバル大学創成支援事業ならびに国際課の皆様、今回の海外派遣では大変お世話になりました。海外派遣ならびに不在中の学生指導をご快諾いただいた情報科学センター長こと桝田教授、森助教、教育情報システム研究室の学生諸君、遠隔での業務に対応していただいたATEC・情報管理課の皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。最後に、妻と娘、娘の世話をしていただいた義両親に感謝を述べてこの稿を終えたいと思います。


写真5:7月に訪れたグリンデルワルトの風景

写真5:7月に訪れたグリンデルワルトの風景