注目研究の紹介 2020年6月

 本学の注目研究を毎月1つずつ紹介します。

【2020年6月】
 前川國男と村野藤吾の建築思想をめぐる歴史的研究 ―私の研究室の活動について
 (デザイン・建築学系 松隈 洋 教授)

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 私の研究分野は、近代建築史と建築設計方法論です。その中でも主軸を成すのが、戦前・戦後の日本の建築界で活躍し、大きな仕事を遺した二人の建築家、前川國男(1905~86年)と村野藤吾(1891~1984年)であり、残された建築資料を活用しながら、彼らの設計思想の解明に集中的に取り組んで来ました。二人の作風は対照的ですが、人々の心のよりどころとなり、時間と共に成熟していく普遍性と独自性を持つ建築を追求した、日本の建築の歴史には欠かせない存在の建築家です。

前川國男の下での設計実務の経験から

  • 図1

    図1.前川國男 京都会館 1960年

 この研究対象の選択には、私自身の経歴が強く働いています。学生時代に、前川が設計した京都会館(1960年、現・ロームシアター京都)【図1】に感動したことが起点となり、1980年3月に京都大学工学部建築学科を卒業後、東京・四谷にある前川國男建築設計事務所に入所し、2000年4月に本学に着任するまでの20年間、設計実務を仕事にしていました。設計図を描き、建設現場にも常駐して、職人さんと建築を創り上げる建築士としての仕事です。

 生前の前川に製図室で身近に接することができたのは、わずか6年間に過ぎませんでした【図2】。けれども、没後も事務所で仕事を続ける一方、さまざまな機会で、遺された設計原図やスケッチ、原稿類などを調査し、展覧会や雑誌の特集企画に携わりました。そのきっかけは、前川の晩年に作品集出版の企画があり、設計原図の整理やリスト化、年表作りなどを、わけもわからず担当したことに始まります。実は、そのような経験が現在の研究へつながっていったのです。

図2

図2.前川國男(78歳)と
筆者(25歳)1983年10月8日

 残念ながら、作品集は前川の生前には間に合わず、1990年に出版されます。しかし、没後10年目の1996年には、『建築の前夜―前川國男文集』(而立書房)【図3】の編集を担当し、前川の遺した文章を網羅的に調べてまとめることもできました。また、その直後には、モダニズム建築の保存を提唱する国際学術組織DOCOMOMOの日本支部の設立や、日本建築学会のワーキング・グループの委員として、現存する日本の代表的なモダニズム建築20件を選定する作業にも携わり、本学に着任する直前の2000年1月には、「文化遺産としてのモダニズム建築展DOCOMOMO20」(神奈川県立近代美術館)【図4】のキュレーターを務めました。こうした活動が、現在に至るモダニズム建築研究のベースになっていきます。

  • 図3

    図3.『建築の前夜 前川國男文集』
    而立書房1996年(装丁/亀倉雄策)

  • 図4

    図4.文化遺産としてのモダニズム建築展2000年

村野藤吾の建築資料の整理に携わって

 2000年4月の本学着任後は、設計実務の経験もあり、前年から造形工学科の西村征一郎教授と美術工芸資料館の竹内次男助教授らが卒業生らと組織した「村野藤吾の設計研究会」が始めていた、村野藤吾の遺族から寄贈された設計原図5万点の整理作業と、公開のための展覧会活動に携わり始めます。この「村野藤吾の建築設計図展」では、2000年の第2回展から2017年の第14回展【図5】までを担当しました。
 一方、2005年には、先のDOCOMOMO日本支部の活動として、さらに80件の建物の追加の選定を行い、その結果を受けて開催した「文化遺産としてのモダニズム建築DOCOMOMO100選展」(松下電工汐留ミュージアム)【図6】では、再びキュレーターを務めました。また、同じ年に生誕100年を迎えた前川國男についても、大規模な初の回顧展となる「生誕100年前川國男建築展」(東京ステーション・ギャラリー他)【図7】が計画され、実行委員会の事務局長として、展覧会の企画と実現に携わり、図録の編集の責任者も務めました。そして、この時、研究室の大学院生たちに、前川との出会いの起点となった京都会館の模型【図8】を制作してもらったのです。

・図5.第14回村野藤吾建築設計図展2017年(写真撮影/市川靖史)
・図6.文化遺産としてのモダニズム建築DOCOMOMO100選展2005年
・図7.生誕100年前川國男建築展2005年
・図8.京都会館の木製模型2005年

  • 図5

    図5

  • 図6

    図6

  • 図7

    図7

  • 図8

    図8

前川國男の戦時下の思想形成をまとめる

 このような経験を重ねる中で、前川の建築思想の中核を成すと思われた戦前期の仕事を博士論文にまとめることを思い立ち、2008年に、DOCOMOMOの活動で親交を深めていた東京大学教授の鈴木博之(1945~2014年)先生に提出して、工学(博士)の学位を取得します。その後、この博士論文を元に、建築雑誌への書下しの長期連載(『建築ジャーナル』2012年4月号~2016年8月号)を経て、単行本にまとめる機会を得て、前川没後30年の節目となる2016年に、『建築の前夜―前川國男論』(みすず書房)【図9】として上梓することができました。さらに、この著書により、2019年に、日本建築学会賞(論文)を受賞しました。これでようやく建築史研究者の一員に加わることができたように思います。そして、鈴木先生の後を継いでDOCOMOMO日本支部の代表(2013~18年)や、鈴木先生らが尽力されて2013年に設立された文化庁国立近現代建築資料館の運営委員(2013~20年)を務めるなど、本学での研究活動は社会的なものへとつながっていきました。

図9

図9.松隈 洋『建築の前夜
前川國男論』みすず書房2016年

研究は学生たちとの共同作業

 本学において研究活動を20年にわたって続ける一方で、私の研究室の学生たちには、村野藤吾を中心に、毎年、設計図面を元に展示物となる建築模型の制作に取り組んでもらいました。また、設計原図の整理作業【図10】にとどまらず、展示計画の立案や設営【図11】、カタログの編集、写真撮影の補助なども担当させてきました。それは、大半が建築設計を将来の仕事に希望する学生たちに、模型制作を通じて建築への理解を深めてもらいたいという教育上の理由と、大学が社会へ発信する展示という作業の一端を学生たちに担わせることによって、建築が持つ社会的な意味を体感させたいと思ったからです。

 こうして、前川や村野の名前も知らなかった学生たちが、手描きの設計原図を読み込み、それを実際の建物のように、精巧な模型へと作り上げていく地道な作業【図12】を傍で見てきました。そして、気がつけば、彼らが建築への理解を格段と深めていく姿を何度も目撃し、むしろ、彼らの作業を通して、私自身がいろいろなことに気づき、教えられることの方が多かったのです。その意味で、私の研究は、いつも学生たちとの共同作業の賜物でした。

 また、2011年の3.11の前後に開催した京都に現存するモダニズム建築を紹介する建築展「もうひとつの京都―モダニズム建築が求めたもの」【図13】では、同僚で写真家の市川靖史助教に、22件の建物を1年かけて撮り下す仕事を依頼し、取り壊しの危機にあるモダニズム建築を記録する作業もスタートさせました。それ以来、村野藤吾展でも、現存する建築の撮り下しも続けてもらっており、それ自身が、村野の建築の貴重な記録保存にもなっているのです。

  • 図10

    図10.第9回村野藤吾展の図面整理の様子2007年

  • 図11

    図11.第10回村野藤吾展設営作業の様子2008年

  • 図12

    図12.第10回村野藤吾展の模型制作の様子2008年

  • 図1

    図13.もうひとつの京都展2011年
    (写真撮影/市川靖史)

 このような形で毎年のように続けてきた村野藤吾展の成果は、制作した模型80点を設計原図や写真と共に一堂に展示した2015年の目黒区美術館の「村野藤吾の建築―模型が語る豊饒な世界」展【図14】と、その巡回拡大版である2017年の広島市現代美術館の「村野藤吾の建築―世界平和記念聖堂を起点に」【図15】で実を結び、広く社会へ伝えることもできました。

 そして、これら一連の学生との共同作業による研究・教育・展示活動は、美術工芸資料館と村野藤吾の設計研究会の連名で、2015年日本建築学会業績賞を受賞します。本学の関係教員と職員、卒業生と在校生が総力を挙げて地道に取り組んできた建築資料の活用と公開展示が、学会に認められたのです。そして、村野の建築資料【図16】は、国の重要文化財になった広島の世界平和記念聖堂(1954年)の耐震補強工事の際にも有功に使われ、私自身も検討委員会に加わりました。今後もそのような活用事例が増えていくと思います。

 さらに、近年は、本学の出身で香川県の建築技師として活躍した山本忠司(1923~98年)の遺族の協力を得て研究室で資料調査を行い、基礎的な研究内容をまとめた修士論文を元に、2018年に展覧会【図17】を開催し、香川県立ミュージアムへの巡回も実現しました。また、2020年3月から開催した環境デザイナーの瀧光夫(1936~2016年)を紹介する最新の展覧会【図18】も、遺族から建築資料の寄贈を受けて、基礎的な研究をまとめた修士論文を元に組み立てるなど、研究分野においても、学生たちの力が発揮されるようになってきたのです。

・図14.村野藤吾の建築―模型が語る豊饒な世界展2015年(模型写真撮影/市川靖史)
・図15.村野藤吾の建築―世界平和記念聖堂を起点に2017年(模型写真撮影/市川靖史)
・図16.世界平和記念聖堂保存修理にも活用された設計原図
・図17.山本忠司展2018年(写真撮影/市川靖史)
・図18.瀧光夫展2020年(写真撮影/市川靖史)

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他の美術館の建築展にも携わって

 その間、さまざまな関係者とのつながりから、学外の美術館で開催された丹下健三、吉村順三、白井晟一、谷口吉郎・谷口吉生、坂倉準三、アントニン・レーモンド、シャルロット・ペリアン、大髙正人など、建築史上重要な内外の建築家たちの仕事を、建築資料を通じて検証する建築展にもかかわり、その多くで、同じく、学生たちが模型制作を行ってきました。

 そして、2019年には、複数の建築展において、前川國男研究の成果を、学生たちと共に発展させる機会も実現します。
 まず、2月に埼玉県立近代美術館から始まり、全国の3館へ巡回された「インポッシブル・アーキテクチャー」展【図19】では、前川の出発点として知られる東京帝室博物館コンペの応募案(1931年)の模型【図20】を、限られた資料を元に制作し、前川の方法を可視化して展示することができました。また、9月から12月まで香川県立ミュージアムで開催された「日本建築の自画像―探求者たちのもの語り」展【図21】では、太平洋戦争下に実施されたタイ王国のバンコクに計画され、前川の建築思想の核心部分を形成した在盤谷日本文化会館のコンペ2等当選案(1943年)の精巧な木製の模型【図22】を制作し、学生たちの論考がカタログにも掲載されたのです。

・図19.インポッシブル・アーキテクチャー展2019年
・図20.前川國男・東京帝室博物館コンペ応募案模型(制作した学生たちと)
・図21.日本建築の自画像展2019年
・図22.前川國男・在盤谷日本文化会館コンペ応募案模型2019年(模型写真撮影/市川靖史)

  • 図19

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  • 図20

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  • 図21

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  • 図22

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 そして、私が実行委員長を務め、10月から12月まで倉敷アイビースクエアで開催された「建築家 浦辺鎮太郎の仕事」展【図23】でも、本学からの助成を受けて、浦辺の代表作3件の木製模型【図24】を学生たちが制作し、2020年秋の横浜赤レンガ倉庫での巡回展の終了後は、倉敷市への寄贈も決まっています。
 この浦辺展で何よりも感慨深かったのは、現在の浦辺事務所に働く卒業生4人と在校生が共同して展覧会ができたこと、学芸出版社が発行したカタログの編集担当者も卒業生であり、装丁を手がけたデザイナーも美術工芸資料館の元職員であったことです。その他の機会でも、卒業生との共同が多くなりました。
 さらに、3月から5月まで東京・日本橋の高島屋資料館TOKYOで開催された「日本橋髙島屋と村野藤吾」展【図25】では、村野が戦後に増築を手がけ、百貨店建築として初めて国の重要文化財に指定された日本橋髙島屋において、美術工芸資料館に収蔵された設計原図が初公開されました。
 こうして、この20年間に携わった建築展は、巡回展を含めると50近くに上ります。

・図23.浦辺鎮太郎の仕事展2019年
・図24.浦辺鎮太郎展の会場風景2019年
・図25.日本橋髙島屋と村野藤吾展2019年

  • 図23

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  • 図24

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  • 図25

    図25

遠い昔の不思議な縁とこれから

 そして、2020年5月には、20年来交友のあるベルギーの建築家ヘラさんがゲスト・エディターとして編集した英語併記の海外向けの建築雑誌『THE JAPAN ARCHITECT』【図26】で前川國男が特集され、ヘラさんとの巻頭対談が掲載されました。前川の仕事を世界へと発信する貴重な機会も実現したのです。

・図26.『THE JAPAN ARCHITECT』117号 前川國男特集号2020年

図26

図26

 最後に、一枚の写真【図27】をご紹介します。これは、前川國男の著書『一建築家の心條』(晶文社1981年)の出版記念会の際の写真で、主賓の村野藤吾が挨拶をしているところです。右に前川、その右に浦辺鎮太郎が写っています。気がつけば、ここに写る三人の建築家の建築展を、本学で学生たちと、相継いで手がけてきたことになります。この写真を撮影した時点で、私の研究対象が決まっていたのかもしれません。不思議な縁を感じています。

 私の研究は、さまざまな縁がつながって、たくさんの関係者と同僚の先生方、そして学生たちの協力に支えられて初めて成立したことばかりです。あと3年足らずとなった在職中に、2年前から連載中(『建築ジャーナル』2018年5月号~)の前川國男論の戦後編をまとめて出版すること、村野藤吾展の第15回を実現させることが、大きな目標です。彼ら二人が目指そうとしたものを、学生たちと対話しながら社会へと発信し、建築の価値が少しでも共有されることを願っています。そのことが、困難なポスト・コロナの時代に、建築が人々の心のよりどころとなるための手がかりを与えてくれる、と信じるからです。

図27

図27.前川國男『一建築家の信條』出版
 記念会(国際文化会館1982年2月26日)
左から主賓・村野藤吾90歳
前川國男76歳、浦辺鎮太郎72歳
(撮影/松隈 洋24歳)

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