注目研究の紹介 2021年9月

本学の注目研究を毎月1つずつ紹介します。

 【2021年9月】
  境界空間としての建築
  (デザイン・建築学系 武井誠 特任教授) ※紹介動画はこちら(YouTubeが開きます)

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境界空間としての建築

建築家として

 私は日頃から敷地の魅力を活かす建築をつくりたいと考えています。
 人類は風雨から身を守るために崖に穴を堀り、太陽の日差しを遮るように屋根を架け、湿気から生活を守るために床を地面から浮かせて暮らしてきました。そうやって人類は人工物としての建築を地球上につくるときに、自然とうまく付き合いながら建築をつくってきました。
 構造、材料、設備といったあらゆる性能が向上したこの現代社会において、私が建築を想像するときに、最も大事にしていることは「建築にしかできないこと」を考えることです。建築の空間に身を置いた時にしか感じることのできない感覚、そして、建築と関係のない他者が、その建築を外から見たときに、風景の一部として美しく認識されることを大事にしたいと思っています。

図1.方の家(設計:武井誠+鍋島千恵/TNA)
図1.方の家(設計:武井誠+鍋島千恵/TNA)

 例えば、この方の家【図1】という週末住宅は山の尾根に建っています。山の尾根というのは風が強いので、木があまり太く立派に育ちません。地表には熊笹が群生し、細い木々の間を埋め尽くしています。そのような山肌に建築を立てるときに、家も植物と同じような繊細さで建つことができたら、自然と一体となった居心地をつくれるのではないか?と思いました。

 家の中も壁で間仕切るのではなく、細い柱が粗密をつけながら並ぶことで、見る方向によっては壁になったり、ルーバーになったり、自分が家の中を移動すると、まわりの景色が刻々と変化して見えてきます。建物の外周を360度のガラスで囲むことで、自然との大胆かつ繊細な距離感を楽しめます。

 方の家では77本の細い柱で床と屋根を支えています。いわば高床式住居です。これは最初にお話しした、湿気から暮らしを守るためにつくられた高床とは違う考えです。立派な基礎をつくらず、木造の懸け造り【図2】のように、柱が地面に載っているだけのような、建築がさりげなく大地と繋がっている風景をつくり出したいと思いました。

 建築とアートが異なるもっとも大きな相違点として、基礎があるか、ないかが挙げられると思います。地球に人の居場所の重量を伝えているかどうかです。彫刻や絵画には基礎がありません。世界中のどこへでも動かすことができますが、建築は一度建てられると、そこから動くことを許されません。特に日本のような地震国では、より緻密な構造設計が求められます。これからの建築において、地面との関係を考えることは、その土地の気概をつくることに繋がっていて、実はとても大事なのではないかと思うようになりました。

図2.投入堂(鳥取県)

 図2.投入堂(鳥取県)

建築家ならではの研究

 私が設計してきた建築を振り返ってみると、無意識のうちに大地との接点、すなわち基礎のあり方に着目していたように思います。建築が地面に接する部分に厚みをもった境界、すなわち、もうひとつ別の空間を作ろうとしていたのです。それは、「ピロティ」というものです。

 ピロティとは、ル・コルビュジエが1926年に、「新しい建築の5つの要点」で提唱した建築手法のひとつで、地面から建物が浮いて吹き晒しになっている半屋外空間のことです【図3】。

図3

 図3.サヴォア邸(設計:ル・コルビュジエ)

  特に1955年から1970年の15年間、日本にピロティが多く導入され、モダンムーブメントの流れを作ったひとつの建築手法です。世界的にみても、当時のピロティ建築の量は圧倒的に日本が多く、ピロティ大国だったと言っても良いと思います【図4】。

 1980年代に入り、ポストモダニズム期に入ると、ぱたりとその姿を消しますが、1995年の阪神・淡路大震災では、ピロティ構造の建築が多く被害を受け、逆に2011年の東日本大震災では、ピロティ構造の建築が津波の被害を受け流して、津波には効果的であると、注目を浴びました。

 このように、時代や場所によって評価が分かれるピロティは、2016年、ル・コルビュジェの建築群が世界遺産に登録されてから、再注目されています。
 住宅の1階を持ち上げて、単なる駐車場だけでなく、近隣住民が集う憩いの場として、積極的に街に自分の敷地を提供しようという光景も増えてきました【図5】。

  • 図4.広島平和記念資料館(設計:丹下健三)

    図4.広島平和記念資料館(設計:丹下健三)

  • 図5.旋の家(設計:武井誠+鍋島千恵/TNA)

    図5.旋の家(設計:武井誠+鍋島千恵/TNA)

 SNSなどのコミュニケーションの発達によって地球上の人々の距離は一気に縮まりました。一方で、建築には、まだ多くの境界が存在しています。それは壁や窓といった目に見える物理的な境界だけでなく、建築を成立させる上での見えない境界です。

 ピロティという空間は、自然物と人工物、パブリックとプライベート、内部と外部、などの相反する二つの領域の間にある中間領域です。そのある種、曖昧な境界空間こそが、建築をつくるときに大事になるのではないのでしょうか。建築とは、境界をデザインすることであり、建築単体だけなく、建築を取り巻く場所や環境が、そして社会がより魅力的になる可能性を秘めているもだと思います。

鉄道と街の境界を設計する

図6.上州富岡駅(群馬県富岡市)(設計:武井誠+鍋島千恵/TNA)

図6.上州富岡駅(群馬県富岡市)(設計:武井誠+鍋島千恵/TNA)

 上州富岡駅【図6】は、東日本大震災直後に開かれた設計競技で300を超える応募作品の中から選んで頂いた、世界遺産「富岡製糸場」の最寄り駅です。当時、津波によって多くの建築の人命が失われました。建築は人間の生活を守ってはくれない、そのような風潮だったと思います。

 建築という「もの」よりは、人々の絆による「こと」の方が大事だと。たしかに、そういう部分は大いにあるかもしれません。でも、だからこそ、これからつくられる建築は、もっと人々の暮らしに近いところになければならない。一度その場所に建ち上がってしまったら、簡単に壊すことができない「もの」として、場所の魅力を引き出さなければならないと強く思いました。

 駅には様々な人間ドラマがあります。地方から東京へ上京するときに見送ることもあるでしょう。毎日の通学につかう高校生の待合場所でもあるかもしれません。近所のお年寄りが集まる憩いの場かもしれません。そういった街の暮らしの日常的な風景と、世界遺産の街の玄関口としての非日常的な風景が、同時に生まれる場所が駅なのです。

 駅の基本的な機能を満たす部分を最小限の室内空間にして、それ以外はほとんど外部空間です。大屋根を線路と街の間に架けて、縁側のような場所をつくりました。日差しの強いとき、突然の雨のときに、さっと屋根の下に入れるように、そして、気軽に休憩できるように、いたるところに腰掛けがあります。また、富岡製糸場を見学する観光客をもてなすために、大きな屋根は来訪者を迎える門として、半屋外の広場はイベント時のステージになるようにも考えられています。そんな、日常と非日常の境界を曖昧にする建築です。

図7.上州富岡駅の周辺
図7.上州富岡駅の周辺

 この駅の特徴は、富岡製糸場とは色や積み方の異なる明るい茶色の煉瓦を床にも壁にも家具にも使っていることです。それには理由があります。通常、駅舎は建築分野、歩道や道路や広場は土木分野、で設計することになっています。そして、駅前の整備をすると、いろいろな管理区分があり、それらの境界によって、舗装の設えや、景観上の見えが切替わってきます。そもそも駅は停車場と言われるくらい、鉄道と街を繋ぐ境界のない広場のような場所だった訳ですから、その境界は無い方が自然です。そのために、土木の舗装にも建築の仕上げにも使えるレンガを地面から駅舎の壁まで連続して積むことで、一体感のある景観を作りました。

 建築家は通常あまり設計に関わらない、ロータリーや歩道の形状、公園の植栽、道路を挟んだ施設の駐車場、駅前のサイン計画、照明計画など、駅周辺のあらゆる設えについて、一緒に考えること、すなわち、建築と土木の境界を分けずにデザインすることはとても大事なことだと思います。そうすることで、街の景観としての統一感が生まれ、建築がその場所と一体になった新しい風景が生まれるのだと思います。

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