INTERVIEW

「マツダブランド」を変えたカーデザイナー前田育男が語る、ものづくりの原点

マツダ株式会社 執行役員 デザイン本部長

前田育男(意匠工芸学科卒業)

揺れていたマツダのブランド像を「車に命を与えるデザイン」でつくり直す

現在はカーデザイナーとして第一線で活躍する前田さんが、デザインを学ぶ場所として京都工芸繊維大学を選んだのはなぜだったのでしょうか?

前田:じつはデザインと同時に建築にも興味があって、建築学科や工業デザイン学科がある大学をいくつか受けていました。その中で京都工芸繊維大学の門をくぐった瞬間に、強烈な志や個性みたいなものを感じたんですよね。他に受けたマンモス校には、どこか殺伐とした雰囲気がありましたが、京都工芸繊維大学には小規模な学校ゆえの濃縮された匂いがあったんです。直感的に「ここで学びたい」と思い、入学を決めました。意匠工芸学科で工業デザインを学ぶうちに、もともと持っていたカーデザイナーへの憧れがますます強くなり、卒業後はマツダに入社。マツダ北米デザインスタジオやFORDデザインへの出向を経て、現在は本社デザインスタジオでデザイン開発に携わっています。

2009年に前田さんがデザイン本部長に着任して以来、マツダはイメージを大きく変えました。着任後のモデルはすべてヒットし、「マツダといえばデザイン」という認識が世界に広がっています。そもそもデザイン本部長とは、どんなお仕事なのですか?

前田:デザインのリーダーとして、マツダのデザインを目指すべき方向性に引っ張っていくというのが基本的な仕事。マツダにはいろいろな車種がありますが、そのデザインすべてをグローバルな視点でクリエイトしていくのが役割です。ただ、私の世代からもう一つ加わったのは、「ブランドをつくる」という視点。私たちの作品である車という商品そのものを考えるだけではなく、作品を入れるための「器」のあり方も考えるようになりました。たとえば、販売会社やモーターショーの会場など、環境も含めたトータルなデザインをやり始め、現在はその裾野がどんどん広がっている状況ですね。

「ブランド」というものに着目されたのはなぜでしょうか?

前田:日本では一般的に、ブランドとはブランドマークのことだと思われています。あるマークがついていれば、そのブランドの商品である、と。しかし本来のブランドの意味とは、商品のなかに統一的に現れる、ものづくりのスタイルやその姿勢のことだと思います。以前のマツダはそのことに気づけておらず、その結果、ある商品はヒットするけれど、その次はヒットに至らないという状態が続いていた。つまり私たちの間でも、ブランドの像が揺れ動いたままだったのです。そこで、自分たちのものづくりの原点をあらためて考え、その様式美をすべての商品、活動、現場に貫くべきだと考えました。

どのような作業から始めたのですか?

前田:マツダには的確な言葉になっていなかっただけで、ある「ものづくりの伝統」がある。自分たちにとってそのものづくりとは何かを、何度も議論しました。そこで出てきたのが、いまの指標になっている「魂動(こどう)- Soul of Motion」というテーマです。つまり、静的ではない動きのあるデザインが、マツダの根幹にはありました。ただし動きのデザインといってもさまざまで、たとえば車体の表面に波状の模様を入れても、動きを感じさせることにはなるでしょう。でもそれだけだと表面的なものになってしまう。だからそこからさらに踏み込んで、車に命を与える、生命を感じる動きを表現しようと意識し始めました。

命あるもの、つまり生き物の動きを取り入れようと?

前田:ええ。マツダのブランドメッセージの一つに、「車は家族のように愛される存在でありたい。」という表現があります。「愛車」という言い方がありますが、「愛」がつく工業製品は、車以外にはないでしょう。まるで家族や友人、恋人と同じように親しまれている、そんな車の価値を具現化したいと考えました。着任後にまず手がけたコンセプトカー「靭(SHINARI)」は、そんな思いを託した車です。ここで参考にしたのはジャガーやチーターといった、自然界のアスリートと呼ばれる動物たちの動きです。その美しさには「動きの原理」があり、表面だけではなく「美しい骨格のあり方」の重要性など、多くのことを学びました。そしてその知見をもとにして、会社の伝統を引き継ぎつつ、自分がデザイナーとしてやりたいこと、そしてブランドが一段上のステージに進むために必要なことのすべてを、「靭(SHINARI)」につぎ込みました。

今後の会社の方向性を決めてしまう、とても重要な作品ですよね。

前田:いま思い返せば、大げさではなくデザインリーダーとしての自分の生命を賭けた作品でした。現在、マツダでは約2万人の社員が働いていますが、彼らの生活も、会社としての長い伝統も、この一台が引っ張ることになる可能性もあるわけです。一度、世の中に出したら、もう引き返せません。想定外の反応が返ってくるかもしれない。ドキドキしながら最初にイタリアミラノで発表したのですが、嬉しいことに反応はとても良いものでした。ほっとしたと同時に自分の考えが確信に変わった瞬間です。

車を建築物のように表現するヒントは在学中に出会った伝統文化から

その情熱や確固たる意思は、やはり「車が好き」という気持ちからきているのでしょうか?

前田:そうですね。私が車を好きになったきっかけは、小学校高学年のときに初めてお小遣いを握りしめて見た映画『栄光のル・マン』です。1971年公開の作品で、俳優のスティーブ・マックイーンがレーシングドライバー役を演じているのですが、劇中にあるレースのシーンに感銘を受けたんです。現在のようにCGはなくすべて実写なのですが、それがとてもかっこ良くて、本当に心に沁みた。それ以来、車やモータースポーツが大好きになりました。

なかでも車のデザインという側面に興味が向かったのはなぜなのでしょう?

前田:デザインを意識し始めたのは高校生のころです。当時、家に親父が使っていたエンツォ・マリというイタリアデザイナーの、ペーパーナイフがあったんです。すごくシンプルなフォルムなのですが、手にしっくりはまってとても扱いやすい。「デザインするとは、こういうことなんだ」と、気づいた出来事でした。

それで工業デザイナーになろう、と。京都工芸繊維大学に入学してみて、どんな部分に良さを感じられましたか?

前田:他学科の学生がとても近くに感じられるのは良かったですね。工芸学部(※当時)は面白い学科が集まっていて、住環境や建築などわれわれに関わりのある領域を学ぶ学生からいろいろな刺激を受けました。普通のアートスクールにはない側面だったと思います。とくに良かったのは、繊維の学科もあったこと。これは京都の大学ならではですよね。西陣織など、伝統と直結するような領域も身近に感じられたのは楽しかったです。

そうした刺激が、現在のデザインにつながっている部分はありそうですね。

前田:あると思います。大学内での出会いもそうですが、京都の街のあちこちにそうした刺激がありました。たとえば休日にお寺に行って、一日中、縁側に座っている、なんてこともやりましたね。そこで見ていたのは、伝統的な日本建築の陰影の出し方や凝縮されたダイナミズム。また凛とした空気感とか、肌身で感じることがたくさんありました。車をデザインするうえでも、平面的にするのではなく、奥行きや陰影を大切にし、立体物としてのフォルムにこだわっています。また、日本庭園などに表現されている、隙のない研ぎ澄まされた世界は私がカーデザイナーとして表現したい大きなテーマとなっています。そこには、こうした学生時代の経験が生きています。

冒頭で語られていた、小規模な大学ゆえの濃縮された気風は、現在の職場であるマツダにもつながっていますか?

前田:そうですね。マツダの年間の生産台数は150万台で、これはBMWやAudiと同規模です。でも、われわれは自分たちを「スモールプレイヤー」だと考えていて、小さくても光る強い存在を目指しています。小さな企業としての強みを生かし、丁寧なものづくりを行う企業でありたい。大企業ではどうしてもマーケティングが先に立ち、「どう売るか」「どうやってシェアを伸ばすか?」ということにフォーカスしがちですが、私たちは町工場の職人のように一品一品を大切につくりたいんです。私が京都工芸繊維大学に感じたのも、そうした志の高さだったように思います。

学生時代に、デザインを学ぶうえで心がけていた習慣はありましたか?

前田:私はあまり真面目な学生とは言えませんでしたが、粘り強く課題に取り組むという空気がクラス全体にありました。みんなで自習室を使い、締め切りギリギリまで徹夜して課題を詰めるということをよくやっていましたね。何に対しても、深堀りする。強い思いを持ってやり続けるという姿勢は、いまの仕事に生きています。けっこうしつこい性格ですから(笑)。それと、何かモノを見るときはつねに疑問を持つ、漫然と見ないようにするのが良いと思います。学生時代は自由になる時間がたくさんあるので、じっくり時間をかけて何かに没頭してみることをすすめます。それが自分の強みとなって将来自分を助けてくれることがあるはずです。

そんな大学時代を通して、もっとも熱中してつくったものはなんでしょうか?

前田:いろいろな課題がありましたが、照明家具をつくったことがあって、それは無我夢中でやりました。大きなサイズの照明で、小さなアクリルのピースを何百個と組み合わせたんです。照明がついていないときと、つけたときではまるで印象が変わるという作品で、いま考えるとけっこう面白いものだったと思います。それと、車の運転にも熱中しました(笑)。クラスメイトの多くが車を持っていて、みんな車と運転が大好きでした。峠道へ練習に行ったり、エンジンを載せ替えて車の機構を学んだりしていましたね。私はその熱が高じて社会人のラリークラブに所属し、実際の競技に参加するようになりました。また、自分以外のクラスメイトも車好きが高じて、マツダ、ホンダやトヨタ、日産といった大手自動車メーカーに就職し、いまではデザイン部門のリーダーを務めているメンバーも少なくありません。

みなさん本当に車が好きだったんですね。

前田:すごいメンバーが集まったクラスでした。大学時代は何の制約もない時期だからこそ、自分が人に勝てるものは何か、それを一つでも見つけることが重要だと思います。その意味で、デザイン以外にも車のことを多く学べたのは大きかったですね。現実的なカーデザインを日本の大学ですべて学べるかというと、現状では難しい部分がある。海外にはカーデザインの専門学校があるのですが、その卒業生と日本の大卒生では、就職時にテクニックの点で2年ほどの実力の差があります。テクニックを磨くことはもちろん重要ですが、それに勝る何かを持つことも大きな財産になると思います。

幼稚でもいい。他人に流されない「自分の思い」を持つことが大事

いま、企業と大学の共同研究の取り組みを始めている例も多いですが、もし前田さんがやるとしたら、どんなことをしたいですか?

前田:社会でものづくりをするうえでの、「志」を伝えたいですね。車づくりというのは、10万点もの部品を組み合わせ、それをある期間で魅力的な商品にし、お客様を魅了する。加えて関わった人たちの生活のための利益も確保する、非常に複雑なバランスのうえに成り立っている仕事です。また車は個人の所有物であると同時に、多い場合では1000万台が世界に散らばり、街の景観をつくる公共物としての側面も持っている。とても責任は重いのですが、だからこそ面白いんです。その「ものづくりの精神」を大学で育むお手伝いはできると思います。反対に私たちは学生から、ソーシャルメディアと車をかけ合わせたとき、どんなコミュニケーションの可能性が広がるのかといったような、車を使った「遊び方」、「コトづくり」などの柔軟な発想を学べるのではないでしょうか。

        

「ものづくり精神」を現役デザイナーから学べることは、とても価値のあることですね。そんな前田さんが考える、「社会に求められる人材」の姿とは?

前田:「プロ意識が持てる人」です。プロというのは、自分のアウトプットに責任を持てる人のことだと思います。「人に言われたから」ではなくて、「自分にはこんな思いがあるんだ。そこは負けない」という強い気持ちを、たとえ幼稚でも良いから持っていてほしい。大げさかもしれませんが、つくる対象に命を賭けられる、迫力のある人が大好きです。情熱があれば知識の量は問題ではないし、逆に変に冷めていて、周囲とのバランスだけを考えている人はいりません。以前、京都工芸繊維大学での講演後に「僕も真剣にものづくりをしたいです」と言ってきてくれた学生がいたのですが、彼はいま、マツダでエンジニアとして働いています。彼は真剣でしたし、本当に嬉しかったですね。マーケットやトレンドに流されない、そうした職人的な気風を学ぶうえで、京都工芸繊維大学はとても良い環境だと思います。

最後に、今後のマツダが目指すイノベーションとは何でしょうか?

前田:それはやはり、ブランド確立です。われわれは、歴史を持っているのに、伝統を持たない企業になってしまっていた。その歴史を「伝統」に変えたい。そのために「ブランド様式」という線路を敷き、次世代につなげていくのがデザイン本部長としての役割だと思っています。私が京都工芸繊維大学で得た最大の学びは、確固たる思想があれば、集団としての強固な色をつくれるということ。それを生かし、あらゆる車種のどんな部分を見ても、「これはマツダだね」と言われるようなブランドを築きたいですね。

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マツダ株式会社

前田育男(執行役員 デザイン本部長)

1959年、広島県生まれ。京都工芸繊維大学卒業後、1982年にマツダ株式会社に入社。横浜デザインスタジオ、北米デザインスタジオで先行デザイン開発、FORDデトロイトスタジオ駐在を経て、本社デザインスタジオで量産デザイン開発に従事。チーフデザイナーとしてRX-8、デミオ(先代モデル)などを手がける。2009年から現職。デザイン本部長としてCX-5、アテンザ、アクセラなどの商品開発、モーターショー、販社店舗デザインの監修など、「魂動」デザインの具現化、コミュニケーションを牽引する。2015年にはマツダブランドの魂とも呼ばれるロータリーエンジンのスポーツコンセプトカー「RX-VISON」が公開された。